200年前、ファラデーは電気モーターを発明した
200 Years Ago, Faraday Invented the Electric Motor - IEEE Spectrum
200年前の1821年9月3日、ファラデーが電気モーターを発明した。
マイケル・ファラデーは1791年に生まれた。ファラデーは村の教会で読み書きを習った製本見習いの小僧にすぎなかった。ただし製本作業の都合上、とても多くの本を読んでいた。14歳のとき、依頼主に費用を工面してもらい、王立研究所でハンフリー・デービーの講演を聞きに行った。当時、ハンフリー・デービーの講演は面白いということで大人気になっていた。
ハンフリー・デービーはファラデーより14歳年上の若手だったが、化学者として名を馳せていた。ナトリウム、カリウムを発見し、名にし負うデービー灯の発明者でもあった。ファラデーは講演の詳細なノートを取り、デービーに送って雇用されんことを願った。王立研究所で化学助手のポジションが空いたとき、デービーはファラデーを雇った。
ファラデーは電磁気学史を編纂する仕事に取り掛かったが、このとき、電磁気学というのはせいぜい2年程度の歴史しかなかった。なにしろハンス・クリスティアン・エルステッドが電磁気論を提唱したのが1820年で、アンドレ=マリ・アンペールがエルステッドの実験で磁石針が動くことについて数学モデルを考案中というところだった。
ファラデーは実験家であったので、電磁気学史を書くにあたってエルステッドの実験を再現し、アンペールの数学モデルを検証した。エルステッドの実験の再現において、ファラデーはアンペールの提唱する電気が液体のように振る舞う説に疑問を感じた。ファラデーは電気は振動のように振る舞うと考えた。
1821年9月3日、ファラデーは銅線が回転する現象を観測した。このときの実験は以下のようなものだ。
ファラデーは結果をすばやく発表した。嫉妬深いハンフリー・デービーはファラデーの発表を盗作だと避難した。ハンフリー・デービーはファラデーの才能を見出した人物として有名になり、名声はファラデーの影に隠れるようになっていった。
ファラデーが王立研究所のフェローに選ばれたとき、唯一反対意見を表明したのはデービーだった。嫉妬深いデービーのせいで、ファラデーはしばらく電磁気学の研究から離れ、かわりにガラス光学の研究をした。当時イギリスのガラス製造技術はフランスやドイツに比べて劣っていたので、これはこれで意義のある愛国的な研究ではあった。
1831年、嫉妬深いデービーが死んだので、ファラデーはガラスの研究を終えて電磁気学の研究に戻った。