経済学上最適な行動は時として奇妙に見えるという話
極めて興味深い、経済学上合理的で最適な戦略は、時として奇妙に見える。例えば以下の例だ。
Amazonから注文もしていない商品が届き続けた件 | ハーバービジネスオンライン
まとめると以下のようになる。
アマゾンから注文していない雑多な商品が届くようになった。クレジットカードの不正利用ではないし、アマゾンの購入履歴にも存在しない。泥酔したり精神に不調をきたして記憶を失う習慣もない。そもそも自分から購入したいと思うものではない。一度だけ送り状が入っていたので、ギフトであることが判明した。しかしそのようなギフトを送る知人に心当たりはない。アマゾンに問い合わせたところ、ギフトであろうとの回答が来た。ギフトの送り主の個人情報は開示できないとのことであった。
商品の中に、以前マーケットプレイスで注文した商品によく似た商品が混ざっていることに気がついた。もしかしたら、以前利用したマーケットプレイスの出品者が送りつけているのかも知れない。しかしそれは、自分の出品を自分で購入していることになる。自分から自分にカネを動かしているのだから損はないかもしれないが、アマゾンの手数料と諸経費そして発送料の分は損をしている。なぜなのか。
ここでいくつか仮説が述べられている。見かけ上の売上を上げることによりアマゾンのランキング工作をしたいという可能性もあるが、一番合理的で納得の行く説は、商品の廃棄だ。
アマゾンのマーケットプレイスではアマゾンの倉庫に商品を保管できる。これには定期的な保管料がかかる。そのため、しばらく売れない商品は破棄し、これ以上保管料による損失がかからないようにする。これは合理的だ。保管を維持して商品本体の売上よりも保管料が高くなるのであれば、商品自体を破棄したほうがよい。
商品の破棄方法としては、自分自身へ返送して自分で廃棄する方法と、所有権の放棄してアマゾンに廃棄してもらう方法がある。しかしこれはどちらもコストがかかる。
自分自身へ返送する場合は、アマゾンに支払う返送料と宅配業者の送料がかかるほか、受け取りにコストがかかり、さらに何らかの方法で廃棄しなければならない。
所有権を放棄してアマゾンに廃棄してもらう方法もあるのだが、こちらも料金がかかる。
自分で自分の出品を購入して誰かにギフトとして送りつける場合、自分で自分に代金を支払うので、代金の大部分は自分に帰ってくる。かかるコストはアマゾンの手数料とギフトの送り先への送料だが、これが廃棄のコストを下回る場合、廃棄するよりギフトとして誰かに送りつけたほうが結果的に安くなる。
ではどこにギフトとして送りつけるかだが、すでに自分から商品を購入した人の住所に送りつけるのがよい。
これは違法だろうか。ギフトを送りつけられたことによって損害を被った場合は民事訴訟を起こすことができるだろうが、大抵の商品は損害額が小さすぎるために訴訟をする価値がない。まずアマゾンに個人情報の開示申立の裁判をし、その後にギフトの送り主と裁判をすることになるが、これだけで100万円単位の訴訟費用がかかるし、総額2万円ぐらいのゴミ箱やらシャツやらプロジェクターといった雑多で安価な商品を送りつけられたことによる損害に対する補償を求めるにはあまりにもコストがかかりすぎるので、訴えられる心配はまずない。実際、リンク先の記事の筆者も認める通り、このギフトによる実害は発生していない。
経済学とは不思議だ。インセンティブに従い、極めて合理的で最適な戦略を取った結果が、ハタから見ると奇妙に思える。