本の虫

著者:江添亮
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警察官に職務質問をされた話

とても日差しの暑い7月、木場の自宅から銀座にある職場まで5kmの道を、5kgはある荷物を背負って徒歩で通勤していた。その日の私の出で立ちは、日焼けを防止するための大きな帽子、OD色の即乾シャツ、クライミング用のジーンズ風ストレッチパンツ、半長靴であった。勝鬨橋を超えて自販機で飲み物を買うと、急に警察官が3人近寄ってきた。

警察官「ちょっといいですか」
私「何ですか」
警察官「荷物の中を確認させていただきたい」
私「嫌です」
警察官「なぜですか」
私「応じる義務がないからです」
警察官「危険なものが入っているのではないですか」
私「入っていません」
警察官「では見せて証明してください」
私「見せる義務はありません」

このような問答がしばらく繰り返された挙句、私は出社をしなければならないのでその場を離れようとした。すると、警察官は回り込んで私の往来を妨害してくるではないか。人の往来を妨害するのは刑法に定められた犯罪である。

私「私の往来を妨害しないでください。犯罪です」
警察官「妨害していない」
私「では通してください」
警察官「まだ職務質問の途中だ」
私「すでに応じました」
警察官「リュックの中身を確認していない」
私「私に見せる義務はありません」

警察官はなおも執拗に私の往来を妨害した。私は警察手帳を出して、名前と階級を明らかにするよう要求した。警察官はこの要求に答えなければならないと法律上定められている。

3人の警察官は即座に、それぞれ警察手帳を出した。3人の警察官は、私のメモによれば、渦乃博之、井口?労人、晝?石健のような名前だった気がする。私のメモは適当に書きなぐったので細部の漢字が曖昧だ。特に?の前の文字は怪しい。3人とも階級は巡査長であった。認識番号はメモしなかった。

警察官「我々も名前を明かしたのですから、あなたも身分を明かしてください」

確かにそれは一理ある。もとより私に身分を隠すつもりはない。そこで私は予備自衛官手帳を出した。警察官はそのようなものを見ることに慣れていないらしく、私を現職の自衛官だと誤認した。手帳の表に「予備自衛官手帳」と書いてあるのに不思議なことだ。私は誤解する警察官に現職ではなく予備であることを説明した。

警察官の私の往来を妨害する行為はなおも激しくなった。私は往来を妨害して正面を塞ぐ警察官に対して、迂回をしようとしたが、迂回した方向にも回られた。その際、警察官の一人が、「公妨だ」とか、「あ、拳銃に触った」などとわざとらしく声を上げた。警察官が私の往来を回り込み、身をもって執拗に妨害しなければ、私は警察官の体に触れることはなかったし、拳銃のホルスターに手が当たることもなかっただろう。私は公務執行妨害をする意図はなく、拳銃に触る意図もなかった。

やがて、パトカーが到着し、さらに追加で6,7人ぐらいの警察官に周りを厳しく囲まれることになった。そして、最終的には脇道にある無人駐車場という私有地に移動させられた。

警察官「あなたは道の真ん中で通行の邪魔になっているから移動しましょう」
私「あなたが私の往来を妨害するという犯罪をしなければ私が道の真ん中で止まることはないのですよ」
警察官「妨害していません」
私「では私はいまから道を進みたいのですが通してくれますね。あ、移動するのは億劫でしょうから私の方から迂回しましょうか」
警察官「リュックの中身を見せてくれればすぐに通します」
私「リュックの中身を私が見せなければならない法的根拠を示していただければすぐにお見せします」
警察官「さっきから何度も同じことを言っているではないですか」
私「同じことを言っているのはあなたです」

警察官は私の往来を妨害し続けたが、往来を妨害しているということは否定した。

警察官は皆、一貫して法律にはない用語を使った。

私「私の往来を妨害するのは犯罪です」
警察官「妨害していない。現在、説得中です」
私「説得とはなんですか。どういう法的根拠があるのですか」
警察官「お願いをしています」
私「お願いとはなんですか。どういう法的根拠があるのですか」

警察官は、法的根拠について答えることはなかった。それもそのはずで、法律には「説得」とか「お願い」とかいった文言が使われているはずがない。この、「説得」、「お願い」という言葉は、複数の警官が一貫して使っていたので、おそらく警察の職務質問の訓練マニュアルにでもあるのだろう。

警察官「君には受忍義務(じゅにんぎむ)がある」

はて、「受忍義務」とは何だろうか。法律用語のようにもきこえるが、私の知る用語ではない。しかし、私は警察官職務執行法の全文を読んだことがある。その私が思い出せない用語なのだから、おそらく法律用語ではないのだろう。

警察官職務執行法

私「受忍義務とはどのような法律や判例で定められていますか」
警察官「いや、法律とか判例はどうでもいい」
私「なんと、警察官が法律や判例をどうでもいいというのですか」
警察官「違う。本官に対してではない。君に対して言ったのだよ」
私「なんと、警察官が一般市民に対して法律や判例をどうでもいいというのですか」
警察官「そうじゃなくて」

「公妨」、「あ、拳銃を触った」に引き続き、とんでもない発言が出てきた。主語がどちらにあるにせよ、この警察官は法律や判例はどうでもいいそうだ。

私「受忍義務を定めた法律や判例を教えてください」
警察官「法律や判例ではなくて、職務執行を遂行するにあたり必要であるという解釈である」
私「解釈? 法律や判例ではなく」
警察官「そうだ」
私「法的根拠はないんですね」

警察官は、嘘をつかず、受忍義務に法的根拠があるとは言わなかった。捜査に必要であるという解釈だと主張した。

ちなみに、あとで調べたところ、受忍義務とは法律用語ではなく、また直接判例によって支持されている概念でもないようだ。警察は長年、この不文律の受忍義務というものが存在するという法律の解釈を主張している。

警察官「法的根拠は職務執行法第二条に基づいています」
私「ならば、その一条にある濫用をしてならないという条項も守っていただきたい」
警察官「濫用していません」
私「では私の往来を妨害しないでいただきたい」
警察官「妨害していません。説得しています」
私「説得は非法律用語です」

そして議論は堂々巡りを繰り返す。そもそも、なぜ私が職質を受けているのか。私を怪しむに足る納得できる理由があればもちろん自発的に協力してもよい。

私「なぜ私を職務質問しているのですか」
警察官「本官が怪しいと思ったからです」
私「現在、付近で事件が起きて容疑者が逃走中ですか。それでしたら納得の行く理由ですので持ち物検査にも協力します」
警察官「違います」

警察官は嘘をつくことができないという制約がある。少なくとも、法的根拠や現在発生中の事件について、嘘をつくことはできない。後々問題になるからだ。実際、警察官は用心深く、この点において嘘をつくことはなかった。法的根拠について答えられない場合は押し黙ったり話をそらした。

私「私のどういう兆候が怪しいと思ったのですか」
警察官「うつむいて、下を向いて歩いていた」
私「うつむいて下を歩くのは犯罪ですか」
警察官「違います」
私「犯罪者はうつむいて下を向いて歩きやすいものだという統計結果はありますか」
警察官「薬物中毒者はよくうつむいて下を向いて歩くものだ。本官は薬物中毒者を多数見てきた経験論から知っている。君とは社会経験が違うのだよ」
私「薬物中毒者ならば私も以前、シェアハウスに住んでいて何人も見たことがありますが、そういう傾向はありませんでしたね」
警察官「本官は何百人もの薬物中毒者を見ている。君がみた薬物中毒者はそうでなかっただけだ」

私はこの日差しの強い炎天下の中、5kgの荷物を背負って5kmの道のりを歩いてきたのだ。疲れてうつむきがちなのは仕方がないではないか。あるいはうつむいて歩くのは私の癖かもしれない。何にせよ、下を向いて歩いているだけで怪しいというのは、私の納得できる理由ではない。日本国民は下を向いて歩いてはならないという法はない。

警察官「君は帽子を目深にかぶっていて顔が見えなかった」
私「この強い日差しの中、帽子をかぶるのは当然でしょう」

この理由も、私が納得して自発的に持ち物検査に応ずるほどの怪しむに足る理由ではない。日本国民は帽子をかぶってはならないという法は極めて限定的な状況においてしかない。例えば衆議院規則と参議院規則には議場に入る議員は許可なく帽子をかぶってはならないと書かれているが、私は議員ではないし、ここは義場でもない。

警察官「警察官に職務質問をして大声を上げ、その場から逃げようとしたのは怪しい」
私「よく訓練された私のよりも背丈の高い男が3人がかりで私の体を掴み、往来を妨害するのであれば恐怖ぐらい感じるでしょう。それに私に応じる義務はありません」

これも私が怪しい理由として納得できない。

警察官「あなたも社会人で働いているのならばわかるでしょう。リュックの中身を見せてくれればすぐにでも行ってもらって構いませんよ」

法的根拠に基づかず往来を妨害し、義務ではない行為を行うまで拘束する警察官というのは私の社会人としての常識ではわからない。

警察官「なぜ持ち物を見せないのですか」
私「見せる義務がないからです」
警察官「見せると問題になるものがあるのではないですか」
私「ありません」
警察官「では見せて証明してください」
私「見せる義務はありません」
警察官「見せて問題のないものしか持っていないのならば、なぜ見せないのですか」

この質問をした警察官は、私のプライバシー権に対する理念(隠すものがないならば全て見せてもよいという論法はなぜ間違っているのか)、憲法論、はては日本国憲法は日本国民が不断の努力で守らなければならないとしているが、日本は国民に武器を持つ権利を認めていないので現行の法律はおかしい。私はアメリカ合衆国の修正憲法第二条にある規律ある民兵の条項に賛同するものである。しかし私は法律を守る善良な日本国民であるので現行の法律にはもちろん従っていて武器は持っていないなどという私の思想を延々と聞かされることになった。

警察官「あなたは今までに軽犯罪法で捕まったことはありますか」
私「ありません。ただし私は法律のすべてを暗記しているわけではないので過去に法律に抵触した行動をした可能性はあります。しかし、仮にそうであったとしても、私に犯罪を行う意図はなかった。なぜこのようなことを言うかと言うと、マイナスドライバーを持っていただけでピッキング用具として軽犯罪法で捕まった事例を知っているからだ。今、私のリュックの中にマイナスドライバーはおそらく入っていないはずだが、私は日常的にマイナスドライバーを使うのでひょっとしたら入っているかもしれない」
警察官「あなたの場合、マイナスドライバーは正当な理由があると認めます」
私「ペーパーナイフや尖った鉛筆などは」
警察官「それも正当な理由として認めます。ここにこれだけ警察官がいるのだから変なことはしません」
私「信じたいところですが、あなたはさっき、法律や判例はどうでもいいから、と言いましたね」
警察官「そうじゃない。ほら、この警官も帽子を脱いで頭を下げますから」
私「頭を下げたその警察官はさっき、公妨とか、あ、拳銃を触った、と言いましたね」

法律は無数にあり、すべての法律に抵触しないなどおよそ無理な話だ。例えば日本国政府は公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律に常に違反し続けている。本来、木造でもよいはずの公共建築物を木造にしないことがあるのだから。

公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律:林野庁

やがて、現場に追加でやってきた警官は去っていった。そして最初に私に職務質問をした3人の警官だけが残った。

パラノイアというTRPGのゲームがある。基本的には理不尽な圧迫面接をのらりくらりとかわしつづけるゲームなのだが、この今の取り調べはまさにパラノイアのセッションを彷彿とさせる。ただしパラノイアと違い、警察は嘘をつけない、警察は何時間でも私を路上に拘束し続けることができるのでセッションをやめられない、という制約はあるのだが。

さて、私は警察官職務執行法をすべて読んだことがあり、パラノイアのルールブックもすべて読んでいて、GM経験もあるので、このパラノイアのセッションのような不毛な議論(私の権利が不当に侵害されているので不毛ではないのだが)をいくらでも続けられるのだが、いい加減に職務執行法の一条を守って濫用をやめるか、自発的に捜査に協力するだけの納得できる理由を提示してほしいものだ。例えば、今ここで私がナイフを持っているのを見たと言ったのであれば私は自発的に捜査に協力するだろう。というのも、私はいかように悪意をもって解釈してもナイフだとは認定できないものしか持っていないのだから、ナイフを見たと信ずるに足る理由などあるわけがなく、真っ赤な嘘だとわかる。

しかし、警察官はよく訓練されていて注意深く嘘を避けていた。存在しない法的根拠を挙げることはない。何の法律や判例の支持もない受忍義務については解釈であると正しく答える。「法律や判例はどうでもいい」とぃうのは、およそ警察官にあるまじき発言ではあるが、意見であって嘘とか本当とかいった性質のものではないだろう。「あ、銃に触った」という発言は嘘ではないのかもしれない。ただし道を塞ぐ警察官を避けようと左に移動した私の往来を妨害する形で銃のホルスターをつけている右腰を私に押し付けたので、仮に私が銃を触ったとしても、それは私の意図ではないし私に責任はない。

嘘だと私が判断した発言は、「公妨だ」、「濫用していない」、「往来を妨害していない」ぐらいなものだろうか。

さて、駐車場という私有地に停止されての職務質問は2時間弱ほど続いた。警察官職務執行法に定められている濫用というのは、一体、何時間の停止からを言うのであろうか。

結局、最終的に警察官の提案した、リュックの上から触って調べることで怪しいものがないかどうか所持品検査を行うというのが、個人的に面白かったので、その方法で検査をさせることにした。

私「そんな方法で怪しいものがあるかどうかわかるものですかね」
警察官「私にはわかります。これはなんですか」
私「万年筆ですね」
警察官「あとで壊したとか言わないでくださいよ」
私「触っていいとは言いましたが、壊していいと言った覚えはありませんね」
警察官「これは何ですか」
私「メガネケースですね」
警察官「メガネケースの中に薬物を隠すというのはよくあることです。出して見せてもらっていいですか」
私「応じる義務はありませんね」
警察官「これは何ですか」
私「ラップトップですね」
警察官「ラップトップとはなんですか」
私「ノートPCとも呼ばれていますね」
警察官「これは何ですか」
私「ラップトップのケースですね」
警察官「ノートPCのケースがこんなに小さいものですか」
私「12.6インチでとても薄いラップトップです」
警察官「これは何ですか」
私「何でしょうねこれは。ああ、コンセントですね。ラップトップのACアダプターの」
警察官「とても重いリュックですね」
私「ラップトップ2台と周辺機器が入っていますからね」

そして開放された。

そういえば、私が人生で初めて職質をされたときは、神保町に行きたくて神田駅で降りたが、行き方がわからず、その近くの交番に大きな地図が見えたので、見るために入ったときであった。ちょうど秋葉原でナイフを振り回した事件の記憶もまだ浅い時期であった。

警察官「ちょっといいですか、荷物の検査をさせてください」
私「なぜですか」
警察官「最近物騒ですからね。ちょっと前も秋葉原でナイフを振り回す事件がおきましたし」
私「これから犯罪を犯そうという人間がわざわざ交番に立ち寄るのですか」
警察官「いえ、念のため・・・はい終わりました」
私「神保町へ行くための地図を見たかっただけなのに不思議だ」
警察官「なぜ早く言ってくれないのです。道は・・・」
私「地図さえ見れればそれでいいのです」