本の虫

著者:江添亮
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Linus、今までの行いを謝罪し一時的にカーネルメンテナーの立場を退いて人の気持ちを勉強してくると発言

完全に背景事情を調べ上げたわけではないのだが、どうもLinusが毎年参加しているLinuxカーネルの会議に、Linusがスケジュールを間違えて参加できなくなるという事態が発生した。当のLinus本人はもう20年も続いている会議だし自分がいなくてもやっていけるだろうと楽観視していたが、会議自体がLinusの都合にあわせてリスケジュールされた。

LinuxにおいてLinus Torvaldsといえば第一人者であり極めて重要な存在で、そのLinusが毎年参加している重要な会議にLinusが参加できないとあれば、その他のあらゆるコストを度外視して根回し調整を行い、Linusが参加できるようにイベント全体のリスケジュールを行うのは人間の感情から考えて当然である。しかし当のLinus本人は他人の感情が読めず、そこまでの大事になるとは考えていなかった。その認識の差が今回の騒動に発展した。

Linux 4.19-rc4 released, an apology, and a maintainership note - Linus Torvalds

[ その他の長々しい話 ]

いつもの発表とは違う先週のことについて。メンテナーとカーネルコミュニティについての、公になっているカーネルサミットによるものと様々なプライベートなやり取りの議論について。議論の一部は我がメンテナーサミットのスケジュールを間違えたから起こったわけだが。

こういう議論は今週になって初めて始まったわけでもない。メンテナーとコミュニティについては長年議論してきたわけだ。プライベートでもメーリングリストでもたくさん議論されてきた。カンファレンスでも毎回トークがあるし、これも、一般向けのものと、廊下を歩きながら話す種類のものがある。

先週がいつもと違ったのは、俺の反応と、俺が反応しすぎたためだ(判断は読者に任せる)

要するに議題は2つある。

ひとつは俺がメンテナーシップサミットのスケジュールでヘマをやらかしたことに対する俺の反応だ。いや、実際日付を間違えたのは失敗だったが、でも正直なところ、俺がここ20年ぐらい参加していたカーネルサミットに今回ぐらい参加しなくてもいいんじゃないかと思っていたのだ。

実際には、サミットがリスケジュールされたし俺の「俺なしでもやれるんじゃない」って意見は覆されたわけだ。だがこの状況が別の議論の呼び水になった。これが議題の2つめにかかってくるわけだが、俺は気がついたんだよ。俺って人の気持ちが読めないんじゃないのってことに。

要するに「鏡で自分の顔を見てみろよ」って瞬間だな。

というわけで、俺がついに気がついたこととして、俺が毎年のカーネルサミットを今回ばかりパスするのは面白くもないしいい兆候でもないってことと、俺は今の今までコミュニティの気持ちを汲み取れていなかったということだ。

何というかな。無視できるってものは、だいたい俺が首を突っ込みたくないものなんだな。

これが俺という人間の現実だ。俺は他人の感情を読み取るのが得意ってタイプの人間じゃないし、そのことはみんなも当然気がついていただろうから驚きはないだろう。俺以外はな。俺が長年、他人の気持ちを読み取れずにいて、大人でない環境を作り出していたってのは良くないことだ。

今週、コミュニティ内の人間は俺が人の感情を理解できていないということについて批判してきた。俺の反論は大人気なかったし良いものでもなかった。特に俺個人の問題としたことについてだ。俺がよりよいパッチを追求することについて、これは俺の中では当然のことだ。これはどうもよろしくない態度だと気がついたわけで、正直すまんかった。

こうくどくど書き連ねているのはつまり俺が誤りを認めて、おいおい、お前は態度を改めなければならんぞ、という辛い思いをかみしめているのであって、俺の態度で気分を害したりカーネル開発から抜けてしまった人間にあやまりたい。

ちょっとここらで休みを取って、他人の感情を理解する方法と、適切な応対の方法について、誰かから学んでくる。

別の視点で考えると、カンファレンスに呼ばれた時、俺はよく、カーネル開発の厄介な問題点はたいてい技術的な問題ではなくて、開発フローと態度の変化の問題なのだというトークをよくする。

この厄介な問題点というのは、パッチを管理する方法とか、やり方の大規模な変更とかだ。「パッチとtar-ball」によるリリース(15年前に「Linusはスケールしない」という厄介な議論が持ち上がった原因)から、BitKeeperを使う方法に変わり、それも無理になってきたのでgitを使う方法に変わった。

そういう厄介な問題点は、ここ10年ぐらいなかったわけだ。だが今週、それに匹敵する厄介な問題点が見つかった。

これを4.19-rc4のリリースに結びつけると(いや、実際関係しているのだが)、4.19はなかなかよいものになると思うよ。このリリースサイクルは「落ち着いた」期間になるし、Gregに話はつけておいたので、Gregが4.19を取り仕切ってくれる。その間に俺が休みを取って、俺の態度について修正してくるわ。

これは「俺はもう燃え尽きた。もう逃げ出したい」っていう休みじゃない。Linuxのメンテナーを辞めたいなどとは思っていない。実際逆だ。俺はこの30年近く関わってきたプロジェクトをまだ続けたい。

これは前にもあったように、"git"という小さなツールを書くためにカーネル開発をちょっと停止するひつようがあったように、今回もちょっと休憩して、誰かに手伝ってもらって、態度を改め、俺のツールとワークフローの問題を修正するということだ。

実際のところ、修正の一部はツールで解決できるかも知れないのだ。例えば、メールフィルターをかまして、俺が罵詈雑言を含むメールを送信しようとしたら差し止めるとか。ほら、俺はツールの信者だからさ、一部の問題は、簡単な自動化で防げるかもしれないだろ。

俺が本当に「鏡を見た」とき、明らかに俺に必要なのは変化だけではないわけだが、いや、ほら・・・何か提案があったらメールで送ってくれよな。

メンテナーサミットで会えるのを楽しみにしているよ。

Linus